探訪・浪速の名匠 第6回 株式会社金剛組

株式会社金剛組
お話: 代表取締役社長 刀根健一様

西暦578年、飛鳥時代に創業した金剛組。長い歴史の中で時代の変化に翻弄されながらも、社寺の建築技術を連綿と受け継いできました。その匠の技は今、日本の伝統美・伝統文化へと昇華し、日本のみならず海外の人々の心をも動かしています。最終回となる今回は、金剛組の歴史と担ってきた役割、今後の展望について刀根健一社長にお話を伺いました。

聖徳太子に招かれ四天王寺を建立

四天王寺の建立を命じた聖徳太子

 金剛組の始まりは、今から約1440年前のこと。当時、日本最初の官寺、四天王寺の建立にあたって、3人の工匠が百済から日本に招聘されました。その頃の日本の住居は竪穴式が主流で、本格的な寺院を建てられる技術者がいなかったため、仏教の先進国百済より技術者を呼び寄せたのです。そのうちのひとりが、金剛家初代当主、金剛重光です。
 中心伽藍の完成後、ほかの2名は大和と山科に行ったと言われており、重光は聖徳太子の命で四天王寺に残りました。その後、金剛家は長い間、四天王寺のお抱え大工として寺領の工事すべてに携わり、他の業者が入りこむ余地などありませんでした。それは、職人たちが現状に甘えることなく、常に命がけで仕事に取り組んでいたからだと思います。
 しかし明治元年、「神仏分離令」が発令されると転機を迎えます。他の寺院と同様に、四天王寺も寺領の多くを没収され、金剛家の仕事も激減。そこで初めて、四天王寺の外でも仕事をするようになったのです。記録にはありませんが、当時盛んだった神社建築に携わったのだろうと思います。

恐慌、戦争を経て新技術の導入へ

柱と桁の組み方は巧緻を極める

刀根社長と宮大工棟梁の木内氏。互いに打てば響く関係である。

 昭和以降の金剛組の歩みは、波乱万丈です。昭和恐慌の際は、その煽りを受けて仕事が減り、37代目当主金剛治一は自身の不甲斐なさを詫びて、先祖の墓前で自害しました。その後を継いで38代当主となった治一の妻よしえは、1934年、室戸台風で倒壊した五重塔の再興工事の陣頭指揮を執り、女棟梁としての手腕を発揮しました。
 しかし、戦火で五重塔が焼失すると、鉄筋コンクリートによる再興が決定。金剛組はコンクリート工法の技術を持っていなかったため、四天王寺の長い歴史の中で初めて、金剛組以外の業者が施工することになりました。それは大事件で、新聞でも大々的に報道されたそうです。
 職人は全員、泣いて悔しがりましたが、同時に、新しい工法を取り入れる必要性を感じたのでしょう。「コンクリート工法で金堂を手がけたい」と当主よしえに訴え、よしえは四天王寺に直談判し、受注に至りました。
 金堂建築にあたって金剛組は、初めてコンクリート工法を採用しましたが、見事完成させることができたのは、五重塔を手がけた大手建築会社にご指導いただいたおかげだと聞いています。

西洋の技師が感服した伝統技法

建築中の社寺の精巧な1/10スケールの模型

 金剛組の職人は全員、高い技術を持っていますが、特に金剛組と一心同体である8組の宮大工「匠会」が持つ技は卓越しています。設計精度の高さはもちろん、釘や金物に頼らない継手・仕口加工の技は、海外の大工には真似できない世界に誇れる技術です。また、道具の扱いにも秀でており、なかでも鉋の技術は、数ミクロンの薄さでかけられるほど優れています。
 建てる前に現寸図を引き、寸分の狂いもなく部材をつくるやり方も、先人から受け継いだ工法のひとつです。以前、金剛組の加工場を訪れたサグラダファミリアの技師は、原寸図に曲線が描かれていることに驚いていました。西洋建築では直線を合わせて曲面に見せますが、金剛組は材そのものを削ったり「そり」をつけるなどして曲面をつくっていたからです。この工法は決して簡単なものではありませんが、曲線は社寺様式の象徴であり、日本の伝統美。宮大工は常に、微に入り細を穿つやり方で、命がけで社寺建築に従事しているのです。
 建物は神仏を祀るためのもので信仰対象ではありません。しかし、その前で手を合わせる人を見るたびに、私たちの思いが届いていると感じます。

国宝級の技術を守るために

金剛組宮大工「匠会」の会長、木内組代表取締役・木内繁男氏

継手の性能は細やかな加工技術と精度が求められる

幾種もの継手を駆使する

 金剛組は、後世に残る建物をつくるためにしばしば採算を度外視し、それが経営難の要因となりました。しかし、苦境にあっても職人たちは高い精度を維持して仕事を続けてきました。髙松建設株式会社前会長は金剛組の支援を持ちかけられた際、加工場で職人たちの姿勢と技術力に感銘を受け、「この国宝級の技術が絶えるのを、同業者として見過ごすわけにはいかない」と支援に乗り出しました。私も長い間、一般建築に携わっていましたが、金剛組に来ると原点に戻った気がしてホッとします。
 髙松建設株式会社の金剛組支援に際し、金剛組の債権者会議は穏やかなもので、ほとんどが債権の一部放棄に同意してくれました。これまでの恩を感じてのことでしょうし、それこそ人情を大切にする大阪らしさだと思います。

 2006年、金剛組は髙松建設株式会社の出資を受けて新たなスタートを切りました。必要であれば、新しい技術も導入していますが、「伝統を守る」という信条は変わることはありません。匠会も、代々伝わる建築技術を次世代へ引き継ぐ責任を自負し、〝ほんまもん?の職人の育成に心を砕いています。
 今後も、日本が世界に誇る建築技術で人々に安らぎと心の修養をもたらし、伝統文化の維持に貢献したいと思います。

株式会社金剛組
大阪市天王寺区四天王寺1-14-29
TEL:0120-054-731
www.kongogumi.co.jp

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