【 連載 】EXPO2025 あの熱狂を再び大阪へ!Vol.1

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Q:そもそも、万博って何ですか?

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A:万博とは、「国際博覧会条約」に基づく大規模な展示会です。

 「国際博覧会(Universal Exposition)」を、日本では「万国博覧会」、略して「万国博」「万博」などと呼びます。

 19世紀のなかば、各国の物産を一堂に集めて陳列する「国際博覧会」の必要性が、欧州で提唱されました。これを受けて1851年、25カ国の参加を得て、ロンドンのハイド・パークで「大博覧会(The Great Exhibition)」が開かれました。

 鉄骨とガラスで構築された巨大な展示場「水晶宮」が話題となりました。さまざまな産品を比較して見ることができることから、来場者は学ぶところが多く、出展者にとっては自社製品を宣伝する好機となりました。これが最初の万国博とされています。

 以後、パリ、ニューヨーク、ウィーン、シカゴなど欧米各地で、あいついで開催されるなか、日本も出展を試みます。1867年(慶応3年)の第2回パリ万博では、幕府、薩摩藩、佐賀藩がそれぞれ出品、1873年(明治6年)のウィーン万博から日本政府が公式に参加するようになります。日本館の展示は好評を持って迎えられ、欧州にジャポニズムの流行をもたらす契機となりました。

 その後、1928年(昭和3年)、「国際博覧会条約」が締結され、拠り所となる基準が定められました。条文では、「国際博覧会」を「複数の国が参加した、公衆の教育を主たる目的とする催しであり、文明の必要とするものに応ずるために人類が利用することのできる手段又は人類の活動の一若しくは複数の部門において達成された進歩若しくはそれらの部門における将来の展望を示すもの」と定義しています。

 現在、同条約における「国際博覧会」は、会場の規模や期間、テーマなどから、5年以上の間隔で開催される「登録博覧会(登録博)」と、その合間に実施される「認定博覧会(認定博)」に大別されます。開催を希望する国は、政府が「博覧会国際事務局(BIE)」に申請をしたうえで、条約を批准した各国の代表で構成される総会での承認を得なければいけません。

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