熱狂対談 桂 文枝(落語家)× 竹田 哲之助(大阪青年会議所 理事長)

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今回は大阪の文化・芸能界をリードしてきた落語家の桂文枝様に、落語の世界で培った、知恵とユーモアで大阪発展にどのように貢献できるかを伺いました。また、誘致を進める万博について当時の大阪万博との違いや、みんなで参加して作り上げる姿についても伺いました。

落語が引き出す笑いと想像力

竹田 - 今回は2025年の万国博覧会(以下、万博)の大阪招致に向けて、大阪の文化を世界に発信されている文枝さんに、大阪の魅力をお聞きできればと思います。

まずは、上方落語協会の会長を務められていた文枝さんから見て、落語の魅力とは?

文枝 - 落語というのは地味ですが、これほど多くのものを表現できる芸というのは、なかなか他にないと思います。噺家が座布団に一人座って扇子と手ぬぐいだけを持ち、うどんを食べたり、釣りをしたり、ものを書いたりを表現する。

漫才やコントなど、お客様を笑わせる芸はたくさんありますが、落語は笑わせるだけでなく、想像させて感じさせることが非常に重要です。その中に人間の情や心の奥に入るものがあるからこそ、300年という歴史を積み重ねてもなお、愛され続けているのかと思います。

ただ、落語を海外の方にアピールする場合、やはり言葉の壁は大きいです。私も今まで海外で同時通訳や字幕で公演を行ってきましたが、どちらもなかなかやりにくくて(笑)。

私の弟子にカナダ人の桂三輝(さんしゃいん)というのがおりまして、彼は近年、日本の古典落語をできるだけ忠実に英訳し、披露しています。そういった試みもあって海外でも徐々に落語が浸透してきているとは思います。

竹田 - 文枝さんは創作落語も積極的に作られていますが、創作に対してはどのような思い入れをお持ちですか。

文枝 - 落語というのは、もともと面白い話を作って、みんなの前で披露したことが始まりです。

それが代々受け継がれて古典になり、さまざまな名人がご自分の落語を作ってきました。実は、古典派の印象が強い桂米朝師匠も60作ほど創作をされています。

創作落語は、落語家が次のステージに進むには避けて通れないもの。落語家は、基本である古典を学びながら、新しい落語を作っていく義務があると私は思っています。

創作と古典が両輪となり、うまく回転する。私が創作を始めたきっかけは、その時代にいる人たちを笑わせるべき落語が、古典だけだと言葉の壁があると感じたことがきっかけです。

それで、古典の面白い構成やストーリー展開をいかして現代口調で語る新しい落語を作りました。これまで283本の話を書きましたが、今後も創作は続けていきたいと思っています。

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根本にサービス&反骨精神

竹田 - 文枝さんが考える大阪という街の魅力とは、どのようなものでしょうか。上方落語が発展した背景なども踏まえてお聞かせいただけたらと思います。

文枝 - 大阪人はみんな、人を楽しませる、喜ばせるという、ある種のサービス精神が基本として身についていると思います。

それは歴史的に商売の街だったことが関係していて、商売敵が周りにたくさんいるとギスギスしそうじゃないですか。それを楽しいことを言って仲良くやるという。

その会話はユーモアを含み、独自に発展して大阪の洒落言葉となって今も受け継がれています。

「もうかりまっか」「ぼちぼちでんな」というのも相手に対する思いやりがあっての言葉。「ええ、もうかってまっせ!」という返しじゃ、あまりいい気分はしないですからね。

竹田 - 大阪人は合理性を追求して一生懸命働いてきたからこそ、今の発展を成し遂げたと思います。そのためか、どうしても財布の紐が固いようなイメージもついて回りますよね。

文枝 - それはただのイメージであって、使うときはしっかり使います。

戦災で大阪城の天守が失われたときも、みんなの寄付で立て直しましたしね。私が天満天神繁昌亭を建てるときも、たくさんのみなさまから温かいご協力をいただきました。

かつて消えかかっていた上方落語を上方落語四天王(六代目笑福亭松鶴、三代目桂米朝、三代目桂春團治、五代目桂文枝)が広げ、それを見ていたみなさんがお金を出してくださって。みなさん先人たちの苦労に対して敬意を持ってくださっていたのだなと痛烈に感じます。

竹田 文枝さんがおっしゃったように大阪人の気質にはサービス精神が脈々と流れていると思います。サービス精神から発展してきた民の街というのもまた、大阪の魅力なのかと。

文枝 - そうですね。大阪が民のまちであるということの裏側には、人・物・金がすべて東京に集中していることに対する反骨精神があると思います。

そして、大阪人は先を読む力が東京より優れていたんじゃないかと思います。御堂筋の大きな道路や、地下鉄の長いホームは、構想時こそなんでこんなものを作るんだと批判があったそうですが、「これからの時代、絶対に必要だ」ということで作って、それらはみな、今ではわれわれの生活には欠かせないものになっています。

お金がないぶん、頭を使うのも大阪人。

「新婚さんいらっしゃい!」という番組が48年も続いてきたのは、あまりお金をかけないでいろいろな人に出てもらいたいというのが根本にあります。昔は「夫婦善哉」「プロポーズ大作戦」など、視聴者参加型の番組がたくさんありました。なぜ、そんなにあったかというと、お金がかからないことに加えて、出てくる視聴者がおもしろい(笑)。

そうやって人と違う、おもしろいことを考えるのは大阪の専売特許じゃないかと思います。

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万博の刺激が生み出す未来絵図

竹田 - ここからは万博についてのお話を。

1970年の万博を経験されている文枝さんから見て、当時の熱狂ぶりはいかがでしたか? また、あの万博が現在の大阪にもたらした功績については、どのように捉えてらっしゃいますか。

文枝 - いやー、本当に夢のような毎日でした。あの万博がきっかけで大阪は活気にわきましたよね。

私はテレビ番組の司会などで、万博の仕事もたくさんさせていただきました。あのときは27歳でしたかね。

大阪から東京への仕事に行く際、万博の横をよく通ったんですけど、いつも混んでいてね。やきもきしたのを覚えています(笑)。

「パビリオン」「コンパニオン」なんて言葉もあのときに初めて登場しましたよね。

竹田 - 2025年の万博誘致が決定したら、どのようなことを期待されますか?

文枝 - やっぱり文化・芸能・芸術も含めて世界中の人々が集まって展示が行われるわけですから、最先端技術や異文化の刺激をたくさん受けたいですよね。1970年の万博では、電気自動車やモノレール、ファミリーレストランなど、いろいろ新しいものの登場に刺激を受け、それが次の時代の発展につながっていったと思います。

日本の文化もまた、海外の人に刺激を与えるものであってほしいですね。

竹田 - 1970年の万博は、当時の人々にとって未来への期待感を持つことができるイベントだったのかなと感じます。

文枝 - そうですね。新しい科学とか技術とか、進歩を目の当たりにしたのもさることながら、海外の人々とたくさんふれあえたのも楽しかったです。

そして、岡本太郎さんをアートディレクターに起用して太陽の塔を作ったという決断、そこにはすごいドラマがあったと思うんです。

今、私は東京オリンピックの文化委員もさせてもらっていて、オープニングの演出をどうするかと話し合っていますが、1970年の万博に負けない大阪人の良さをそこでも提案できればと思っています。万博もオリンピックも、行政や企業に任せっきりではなくて、みんなで参加して作り上げたいですね。

リーダーはもっと勉強を

竹田 - 最後に、今、文枝さんは次の世代に大阪の文化というバトンを渡される立場におられると思います。

私達20~40代の世代に対して、今後の大阪を盛り上げるためのアドバイスをいただけたらと思います。

文枝 松下幸之助さんなど、昔の起業家の方って浄瑠璃や小唄、端唄など、いろいろな芸事を身につけてらっしゃったんですね。

今の若い起業家の方々はだいたいゴルフかカラオケが趣味といった方が多いでしょう。でもやっぱり、最初のとっつきは難しいかもしれないけど、歌舞伎や文楽、なんかも見てほしい。

海外にはメセナというものがあって、芸術に対して企業などが積極的に資金を提供しています。そうやって一生懸命、文化をつないできているんです。そこから学ぶこと、昔の人間が持っている情愛、信念、人情などを根底に持っておかないと企業もギスギスしてしまいます。

そういう情の部分をみなさんに持っていただきたい。それには、手前味噌ですが落語も聞いていただければ。神戸にも「神戸新開地・喜楽館」がオープンしました。ぜひ、遊びにきていただきたいです。

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上方落語の定席、天満天神繁昌亭

上方落語が楽しめる演芸場「天満天神繁昌亭」。昼席は、ベテランの噺家から若手まで入れ替わり立ち替わり登場し、夜席は、独演会や一門会などが中心。

朝席では落語の体験プログラムも行っています。伝統芸能である上方落語ですが、定席(常席寄席)は、戦争で60年以上消失していました。

「いつでも落語を聞ける」場所を復活させるため、上方落語協会会長に就いていた桂文枝さんが奔走。天神橋筋商店街の協力を得て、大阪天満宮の一角にある駐車場用地を借り受けることになり、企業や個人からの多くの寄付を募り建設。噺家の悲願であった常設寄席「繁昌亭」が2006年に開場しました。

募金者の名前を記した提灯約1500個が、天井や外壁に吊るされています。客席数は216席。地下鉄谷町線・堺筋線「南森町駅」、JR東西線「大阪天満宮駅」より徒歩3分。

また2018年、繁昌亭に続き、神戸にも常設寄席「喜楽館」がオープンしています。

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